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報道のあり方 

今日は、久しぶりに真面目な話を書きます。





国民みんなが注目したであろう、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決が、今日出た。

死刑、だそうだ。

これは高裁だから、まだ最高裁が残ってるわけだけど、1、2審で無期判決から差し戻し控訴審で今回死刑判決が出されたことを考えると、最高裁で無期はまずないだろうなとは思うけど。






今回、このニュースを取り上げたのは、この事件に関する感想を書きたかった訳ではなくて。



mixiでたまたま見かけた2つの記事。

光母子殺害事件、元少年に死刑判決

光母子殺害:「世論の逆風」と闘い…弁護団



本村さんに着目した記事、
そして、
少年の弁護団に着目した記事。



興味深いなと思ったのは、どちらも同じ毎日新聞社から出た記事であり、さらによく見てみると、どちらも同じ記者(片方は複数名によるものだが)による記事だったからだ。









本来、報道は事実のみを多角的な視点で伝えるべきもので、ひとつの視点に偏ってはならないはずだ。
なぜなら、その事実をどう受け止めるか(感情として)は個々人の自由であり、それはいろいろな見方をして、公平な事実判断をした上で初めて出されるものでなければならないからだ。

だが、特にこのような卑劣な犯罪に対する報道では、被害者の視点に立った報道のみが加速してしまいがちだ。



さらに問題なのは、新聞ではあまりないが(事実の歪曲や誤解を与える表現は見られるが、今はそれは置いておいて)、テレビの場合、「キャスターのコメンテーター化」が最近目に余るようになった。(コメンテーターという言葉使いが相応しくなかったらご指摘ください。訂正いたします。)

つまり、本来事実を伝えるのみにとどまらなくてはならない(と私は思う)キャスター自身が、自分の主観を堂々と述べてしまうのである。
それも新人ではなく、ベテランのキャスターがこれ見よがしに自分の意見をべらべら述べているのだから、呆れ返ってしまう。
(この点では、NHKやニュースJAPANの報道スタイルはクリーンだと思う。)

ただでさえ「ある特定の視点」という制限に加え、さらに「ある個人の感情」が加わることで、見る側もそれを無意識に自分のものとして受けとめてしまうところに恐ろしさがある。
世論のコントロールである。



こうしたことは冤罪の場合だと大きく問題視されるが、今回の事件のように大半の人が抱くであろうと思われる感情の場合、ほとんど問題視されない。
だが、それはあくまでも結果論ではないか。

何のためにキャスターとゲスト、コメンテーターが分かれているのか。









こういうことを考えていた時に、同じ記者によって書かれた二つの記事を見た。
当たり前のことだが、どちらも感情に訴えるのではなく、それぞれの立場を見て事実を淡々と述べたものである。

改めて、報道の本来のあり方を考えさせられた。